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ヒーローについて。【社長ブログ更新しました】

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自分たちの世代を、便宜的に団塊ジュニア世代と呼ぶならば、
団塊ジュニア世代が子供時分には、プロレスというものがとても流行っていた。
男子ならば10人中7~8人はプロレスファンだったような気もしないでもないような。
学校の先生もプロレスファンが多かった。

成長するにつれて、やがてプロレスというジャンルから卒業する友人も多いなか、
私の周りには高校生や大学生になってもプロレスファンだという者がけっこう多かった。

そんななか、私にとって”ヒーロー”という存在のレスラーが1人いた。

2代目タイガーマスクこと、三沢光晴である。
特に、虎の覆面を脱いだ1990年5月以降の人気はすさまじく、
90年代に業界が黄金時代を迎えた頃の主役だったのは間違いない。

いま、手元には1枚の色紙がある。
2代目タイガー(覆面レスラー)から素顔の三沢になってからすぐの頃、ご本人からいただいた1枚である。

三沢光晴は31年前の1990年6月8日、日本武道館で絶対的エースだったジャンボ鶴田を破り、一躍トップ戦線に躍り出た。
色紙の日付は翌7月17日。
ちょうどタイガーから素顔の三沢に戻って、これから名実ともにトップレスラーに駆け上がる勢いのあった時期。

当時私は高校2年生。

「三沢が毎回あれだけ身体を張って自分よりも大きな相手に立ち向かってんだから、おれもしんどいなんて言わずにもっと頑張らんとなぁ」と思って苦手な勉強にも取り組んでいた。
その甲斐あってか、なんとか受験競争を乗り越えることができた。

自分の中では、ウルトラマンや仮面ライダーといった架空の存在とは違い、三沢は実在するヒーローだった。
ヒーローとは夢を与える存在であり、他人の人生にまで影響を与える存在。
三沢がトップレスラーを次々と倒し、チャンピオンベルトを巻くまでの道程(90~95年頃)は、
私にとっての青春時代とも重なる。
バイトで貯めたお金でチケットを購入して友人と観戦に行き、三沢の試合では大きな声で声援を送っていた。



その三沢光晴が、リング禍でこの世を去ってから今日でちょうど十三回忌。
いつの間にか当時の三沢の年齢を超えてしまった。

夜、書斎で一人、この色紙を眺めながら「もっと頑張らんとなぁ」とつぶやく、あの頃よりずいぶんと歳を重ね、ちょっとだけお腹周りがたくましくなった自分がいる。

死せる孔明生ける仲達を走らす、ではないけれど、
死せる虎、生けるしゃちょを走らす。

これからも思いっきり全力疾走しようじゃありませんか。


ちなみに、同じ日にジャンボ鶴田にも色紙を書いてもらいました。
私の伯父が役員をしていた会社に全日本プロレスさんが営業の挨拶に訪れたときに書いてもらいました。
リング上では、連日熾烈な戦いを繰り広げている両者も、地方巡業では一緒に営業活動しているんだなぁと、
子供は知らない大人の世界があることを知りました。


表川勝成

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2021年06月13日 20:50
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