しゃちょの読書日記【ブログ更新しました】
①ブライアン・クラース (著), 柴田裕之 (翻訳)『「偶然」はどのようにあなたをつくるのか: すべてが影響し合う複雑なこの世界を生きることの意味』
東洋経済新報社
人生を振り返ったとき、「あのとき、別の選択をしていたら」「あの出来事がなければ、今の自分は存在しなかったのではないか」と思う瞬間は、誰にでもあるはずである。
進学、就職、出会い、別れ、病気、失敗、成功。その一つひとつは当時の自分にとっては必然のように感じられても、
後から振り返れば、ほんの小さな偶然が重なった結果だったと気づくことが少なくない。
本書『「偶然」はどのようにあなたをつくるのか』は、そうした人生の感覚を、感傷や精神論に流すことなく、科学的・理論的に説明しようとする一冊である。
「偶然」とは何か。
なぜ私たちは未来を正確に予測できないのか。
そして、そんな世界の中で人はどのように生きるべきなのか。
本書はこれらの問いに、落ち着いた語り口で向き合っていく。
著者ブライアン・クラースは、国際政治や社会構造を研究してきた学者である。
本書では、個人の人生だけでなく、組織、社会、国家といった大きな単位も含めて、世界がどのように動いているのかを説明する。
その中心にあるのが、「世界は単純な因果関係では成り立っていない」という認識である。
私たちはしばしば、「原因があって結果がある」「努力すれば必ず報われる」「正しい計画を立てれば成功できる」と考えがちである。
しかし本書は、現実の世界では、そうした直線的な因果関係はむしろ例外だと示す。
無数の要因が同時に存在し、それぞれが互いに影響を与え合いながら、結果を形づくっている。
このような世界のあり方を説明する概念が、「複雑系」である。
本書で語られる「偶然」とは、単なる運の良し悪しではない。
一人の選択が、別の誰かの行動に影響し、その影響がさらに別の出来事を引き起こす。
そうした連鎖の中で、最初には想像もできなかった結果が生まれる。その過程全体を指して、「偶然」と呼んでいるのである。
よく知られた比喩として、「バタフライ効果」がある。一匹の蝶の羽ばたきが、巡り巡って遠く離れた場所の嵐につながる、という考え方である。
本書では、この考え方が繰り返し登場する。
個人の人生も同様であり、ある日たまたま出会った人、偶然目にした情報、気まぐれで選んだ行動が、その後の人生を大きく変えてしまうことがある。
組織の方針転換や国家の決定でさえ、突き詰めれば、些細なきっかけから始まっている場合がある。
しかし本書は、こうした話を運命論的に語らない。
「どうせすべては偶然なのだから、努力しても意味がない」という結論には、明確に距離を取っている点が重要である。
むしろ本書が強調するのは、世界が完全に制御できないからこそ、個々人の行動が思いのほか大きな影響を持つ、という視点である。
自分では取るに足らないと思っていた言葉や行動が、誰かに影響を与え、その人の行動がさらに別の誰かへとつながっていく。
そうした連鎖の中で、社会や組織、そして未来が少しずつ形を変えていく。
この考え方は、自己責任論とも、諦めの思想とも異なる。
人生が思い通りにいかなかった理由を、すべて本人の努力不足に帰するのでもなければ、「何をしても無駄だ」と切り捨てるのでもない。
不確実性を前提としたうえで、それでもなお、今この瞬間の選択には意味があるのだと、静かに示している。
本書は、「先の見えない時代をどう生きるべきか」という問いに、分かりやすい処方箋を与える本ではない。
むしろ、「未来は予測できない」という事実を真正面から受け止めたうえで、どのような姿勢で生きるべきかを考えさせる本である。
計画は必要である。
しかし、計画通りに進まないことのほうが多い。
努力は重要である。
しかし、努力だけではどうにもならない要素が常に存在する。
その現実を否定せずに受け入れ、柔軟に対応し続けること。
その姿勢こそが、複雑な世界を生きるために求められているのだと、本書は伝えている。
人生も、経営も、社会も、思い通りにはいかない。
それでも、だからこそ、私たちは今日の判断を軽んじてはならない。
結果が保証されていなくても、誠実に考え、選び、行動する。
その積み重ねが、未来に何らかの影響を残す可能性がある。
読み終えたとき、これまで「運が悪かった」「失敗だった」と片づけてきた出来事が、少し違った意味を帯びて見えてくるはずである。
そして、これから起こる予測不能な出来事に対しても、過度に恐れることなく、しかし軽視もせず、静かに向き合う姿勢を持てるようになる。
本書は、偶然に振り回される人生を肯定する本ではない。
偶然を含んだ世界の構造を理解したうえで、それでも人はどう生きるのかを考えるための、一つの確かな思考の土台を与えてくれる一冊である。
②アグネス・アーノルド=フォースター (著), 月谷 真紀 (翻訳)
「ノスタルジアは世界を滅ぼすのか: ある危険な感情の歴史」
東洋経済新報社
私たちは日常の中で、何気なく「昔はよかった」「あの頃に戻りたい」と口にする。
それは個人的な思い出として語られることもあれば、社会や政治の場面で使われることもある。
では、その「懐かしさ」とは、いったい何なのだろうか。
いつから、人は過去をこのように語るようになったのだろうか。
本書『ノスタルジアは世界を滅ぼすのか――ある危険な感情の歴史』は、こうした問いを、感情論ではなく、歴史という枠組みの中で扱う書籍である。
著者はイギリスの歴史学者アグネス・アーノルド=フォースターであり、本書はノスタルジアという感情が、どのように定義され、
どのように理解されてきたのかを、史料に基づいてたどっていく構成になっている。
ここで扱われるノスタルジアは、単なる「懐かしい気持ち」ではない。
ノスタルジアという言葉は、17世紀のヨーロッパで生まれたものであり、当初は医学用語として使われていた。
故郷を離れた人々が感じる強い苦痛や身体的症状を指し、「望郷の病」として理解されていたことが、当時の記録から確認されている。
なぜ、懐かしさが「病」として扱われたのか。
なぜそれは、いま私たちが使っているような、比較的穏やかな感情を表す言葉へと変わっていったのか。
本書は、こうした変化を、時代背景とともに整理していく。
目次構成を見ると、本書が特定の時代や分野に限定された内容ではないことが分かる。
17世紀の医学的理解から始まり、19世紀以降の心理学的な捉え方、さらに20世紀以降の文化・社会・政治の文脈まで、
ノスタルジアという感情が、どのような場面で語られてきたのかが章ごとに示されている。
たとえば、本書ではノスタルジアが文学や文化の中でどのように扱われてきたかが取り上げられている。
また、政治や社会運動、消費文化の中で、過去のイメージがどのように用いられてきたかを扱う章も含まれており、
これらは、ノスタルジアが個人の内面だけでなく、社会的な文脈の中で語られてきたことを示している。
ここで一つの疑問が浮かぶ。
なぜ人は、不安や変化の多い時代になると、過去を語り始めるのだろうか。
なぜ「未来」ではなく、「過去」が希望や安心の拠り所として持ち出されるのだろうか。
本書は、こうした問いに対して結論を与える本ではない。
しかし、ノスタルジアという感情が、歴史の中でどのように意味づけられてきたかを知ることで、私たち自身が無意識に使っている言葉や感情を、少し距離を置いて見直す材料を提供している。
重要なのは、本書がノスタルジアを「良い」「悪い」と判断する本ではない点である。
過去を懐かしむ感情が、どの時代にも存在してきたこと、その意味づけが時代によって変わってきたことを、史料に基づいて示している。
それは、感情を否定するためではなく、感情がどのように理解されてきたのかを知るためである。
現代において、「昔はよかった」という言葉は、個人の思い出話としても、社会的なスローガンとしても使われている。
その言葉が、どのような歴史を持ち、どのような文脈で語られてきたのかを知ることは、現在の社会や自分自身の思考を見つめ直す一つの手がかりになる。
ノスタルジアとは、記憶なのか、感情なのか、それとも解釈なのか。
なぜ私たちは、過去を「そのまま」思い出すのではなく、選び取り、意味づけて語るのか。
本書は、そうした問いを読者に投げかける。
本書を読むことで得られるのは、答えではなく、視点である。
自分が何気なく使ってきた「懐かしい」「昔はよかった」という言葉を、これまでとは少し違った角度から眺めるための視点である。
ノスタルジアという身近な感情を、歴史という長い時間軸の中で捉え直したい人にとって、本書は確かな資料に基づいた入口となるだろう。
この感情は、いつ、どのように生まれ、どのように語られてきたのか。
その過程を自分の目で確かめたいと感じたなら、本書を手に取る意味は十分にある。
2025年12月23日 13:43
