しゃちょの読書日記【ブログ更新しました】
書評『ケネディという名の神話――なぜ私たちを魅了し続けるのか』(吉見俊哉 著)
──時代が変わっても色褪せない「政治の神話」を、今あらためて読み解く
ケネディ大統領――その名前を聞いただけで、心が少し高揚する。
私にとって彼は、単なるアメリカの元大統領ではなく、学生時代の原点そのものである。
私は法律学科の学生だったが、ゼミはまさかの「政治学科」、しかも欧米政治史の教授の下についたという、ちょっと変わり種の存在だった。
法学の単位と民法の試験に追われながらも、心はいつも1960年代のアメリカ、特にJFKの演説や映像資料に惹かれていた。
卒業論文も迷わず、当時のアメリカ政治を選び、ケネディを軸に時代を読み解こうと試みた。
そんな私にとって、本書『ケネディという名の神話』との出会いは、まさに“原点回帰”だった。
著者・吉見俊哉氏は、社会学・メディア論の第一人者。
本書は、ケネディの人生や政策をなぞる伝記ではなく、「ケネディがいかに“神話”として構築され、記憶され続けているのか」を、
社会構造・メディアの力・記号の意味を絡めて読み解く、極めて知的な一冊である。
たとえば、JFKが“テレビ時代の政治家”として登場し、カメラの前でニクソンを圧倒した1960年の大統領討論。
ジャクリーン夫人と並ぶ姿の洗練された印象操作。
そして暗殺後もアーリントン墓地の「永遠の炎」によって、「殉教者」として語り継がれていく演出。
このすべてが、メディアと記憶、感情と象徴が結びつく構造の中にある。
本書の白眉は、「ケネディとは“過去の人物”ではなく、“今も生きる物語”である」と喝破している点にある。
著者は、ケネディという存在を、「映像時代の政治家」「演出された理想」「記憶の中の英雄」として多面的に描き出す。
そしてそれは、オバマやマクロン、現代のポピュリズム的リーダーに至るまでの“政治の演出史”と地続きなのだ。
私は先日、オリバー・ストーン監督の映画『JFK』を久しぶりに見返した。
あの重厚で陰謀めいた物語の中に、若き日の自分の記憶が蘇った。
何度も書いたレポート、教授との白熱したディスカッション、そして「法」では割り切れない「歴史と感情」に魅せられたあの時間。
本書は、それを静かに、しかし強烈に思い出させてくれる。
こんな人にぜひ手に取ってほしい:
- ケネディという「人物」ではなく、「現象」としてのJFKに興味がある人
- メディアや映像が、政治家のイメージをどう作っていくのかをじっくり考えてみたい人
- リーダーがどう「演出」され、どう「信じられていく」のか。現代の政治の“見せ方”に、つい目がいってしまう人
- 学生時代にケネディを追いかけてた“あの頃の自分”を思い出して、「あれ?これ、俺のことやん」と思った人
- 昔JFKにハマった記憶がよみがえって、なんだかソワソワしてきた人(……わし?)
2025年05月05日 15:58